意味やニュアンスが転じた専門的用語たち④~認知の歪み~

「認知の歪み」とは元々、認知療法の用語である。
同じ出来事であっても捉え方がネガティブであればネガティブな感情を引き起こすし、
捉え方がポジティブであればポジティブが感情が生じる。

捉え方が非現実的なまでにネガティブだったり、不都合な事実にしか着目しなければ抑うつ的になるので、そうした捉え方の傾向をよりニュートラルに修正することを目指すのが認知療法である。
「認知の歪み」とはこのような、心を病む原因となるような捉え方を指して言う。
ただの認識違いや事実誤認、錯覚などは「認知の歪み」とは言わない。

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日常場面において、ただ「認識違い」などと言えばいいものを、相手の意見を絶対的に否定したいがために「認知の歪み」という用語が用いられるのしばしば目にするが、これは極めて悪質であると思う。
いかにも学問的なオーソライズに基づいて否定しているかのような印象を与え、否応なく相手を否定するレッテル貼りになりかねないからである。
そしてそれは心理療法の趣旨にも反する。

意味やニュアンスが転じた専門的用語たち③~自他境界(続き)~

「自他境界が曖昧(自他未分)」とは、ただ単なる価値観の押し付けや異なる価値観への非寛容ではない。
また、自分の感覚で相手の意向を推測するのは障害の有無を問わず、むしろ普通のことではないだろうか?

自他未分とは本来、自分とは異なる存在である他者を自分の一部として捉える感覚である。

発達障害者、特にASD者の場合、自分は他者とは異なる存在であることを嫌というほど経験して孤立感を深める。
また、自分から他人に働きかけるのが苦手な人が多いのは、他者の言動が予想困難であると認識しているのも一因である。だから不安が先に立つ。

定型者はどうだろうか?
家族、夫婦、所属しているコミュニティ、その他親しい間柄において、「一体感」や「以心伝心」を当然のことと捉え、同じ感覚や価値観を共有できなければ疎外する。

そう考えた時、「自他境界が曖昧(自他未分)」はどちらだろうか?

意味やニュアンスが転じた専門的用語たち②~自他境界~

発達障害、特にASDの特性と言われる「”自他境界”が曖昧」も、意味やニュアンスが転じている。
今回はこれについて書いてみたい。

生まれた子は外界からの刺激、特に養育者とのスキンシップを通して自分と他者、および自分の内界と外界との境界を認識すると言われている。
これにより、外界や他者は自分とは異なる存在であり、自分のコントロールの及ばないものであることを認識する。
こうした感覚の獲得に失敗すると、他人と自分の違いが分からず、無駄に他人をコントロールしたがったり、自分の感覚を人に押し付けたり、
他人も自分と同じように感じたり考えたりしているに違いないと思い込んだりする、と言われている。
これを「自他境界が曖昧」と言う。

しかし、この概念のこうした起点に立ち返るのであれば、「これは本当にASDの特性であろうか?」という疑問が湧く。
これはむしろ定型者の特性ではないだろうか?(続)

意味やニュアンスが転じた専門的用語たち①~想像力~

敢えて「専門用語」ではなく「専門的用語」と書いた。
単語自体は一般的でも専門家がその分野の中で使う場合、意味の異なる用語があるからである。
一般的な意味で理解してしまったために、専門家の発信した内容が誤解されて広まってしまうことがしばしばあるように見受けられるので、その一部を紹介したい。
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想像力
発達障害(特にASD)特性のひとつに「想像力の欠如」があると言われる。
これは本来、認知の偏り(歪みではない。これについては後日述べたい)による先の見通しの困難を意味する。そしてその不安から既知のパターンやルーチンへの「こだわり」が生じる。
しかしこれが「空想力」と同義に捉えられ、小説やファンタジーを楽しめないと誤解されることがある。
そうしたものを楽しめない発達障害者もいることは事実だが、それは「想像力の欠如」というより、より現実的なものや事実に即したものを好む別次元の特性である。

発達障害との鑑別が必要な障害2

発達障害と状態は似ていても鑑別が必要な障害については以前紹介したが、内因性精神疾患(統合失調症・双極性障害)との鑑別も必要なのでここに記載する。

〇統合失調症
 発達障害概念が周知されるまでに統合失調症と診断されたうちの何割かはASDだったと言われている。
実際、ASD当事者の間でも「抗精神病薬を処方されたが副作用に苦しんだだけだった」といわれることは少なくない。
これは確かに有害なことだが、こうした話が広まって鵜呑みにされることで心配なのは、ASD未診断の人が統合失調症なのにASDだと思って医療にかかる機会を逸することである。
(それでも幻覚妄想が顕著になれば遅かれ早かれ受診することになると思いますが)

〇双極性障害
発達障害と双極性障害は併発することもある。
また発達障害者が双極性障害の治療を受けても著効するので(気分の浮き沈みについて)、その意味ではどちらに診断されても支障はないかもしれない。
しかし発達障害の場合は自分の特性をよりよく理解し、定型者仕様の社会にどう適応していくかを模索する作業が必要となる。

問題は、双極性障害を無視して発達障害にのみ目を向け(または双極性障害を発達障害と思い込んで)、医療的ケアが受けられないことである。

〇内因性精神疾患を見逃すことの弊害
 どれだけ生活習慣を改善しようと、ストレス要因を取り除こうと、薬物療法がなければ統合失調症も双極性障害も進行する疾患である。
 どちらにも共通する症状に認知機能障害があるが、これは幻覚妄想よりも社会適応を困難にする要因として知られている。服薬で進行を緩和しなければいずれ社会生活が困難になるであろう。
 これらの疾患は生涯に渡って服薬が必要である。
(余談だが、これらの疾患は障害年金の取得に有利になるようだ。症状が安定することはあってもいわば不治の病だから)。 

神経発達障害群の全体像

神経発達障害群は神経発達症群とも訳される。
主にADHD,ASD,LD,知的障害、運動障害などが含まれるが、これらはそれぞれ別の障害としてあるのではない。

発達障害は俗に「発達凸凹」と言われるとおり、認知機能(情報処理のプロセス)に偏りがある。
言語理解が優位で視覚による情報処理が弱い人、数的処理は得意でも空間認知の弱い人など様々だが、この凸凹はLD的であると言ってよい。
こうした凸凹によりADHDやASDの特性が現れる。
ADHD,ASD,LDがしばしば同じ人に併発しているように見えるのはこのためである。

余談だが、こうした併発を一部の当事者の間では「ハイブリッド」ということもあるらしいが、これは少々語弊のある表現かもしれない。
便宜上「ADHDとASDの併発」と言うことはあるが、実際は別のものが2つ合わさったのではなく、両者は発達障害の現れ方の違いとして捉えられるからである。

また、知的障害は全般的な知的機能が標準を大幅に下回る状態である。
知的機能の凸凹が定型(健常者)なみであれば知的障害だが、発達障害なみに凸凹があれば、知的障害を伴う発達障害として理解される。

宿題をしない理由

生徒が宿題をしない時、教師としては頭ごなしに叱るのではなく、原因を探る必要があります。
よくある理由をいくつか挙げてみます。

1.宿題のレベルが合っていない。
例えば基本問題を解説し、応用問題を宿題に出した場合。
教師が何も考えずにテキストの順に授業を進めると、時間の関係でこうなってしまうことがあるようです。
これが何度か繰り返されると、生徒は宿題をする気が失せてしまいます。
あるいは集団塾の宿題が生徒のレベルに合ってない場合は、そのクラスのレベルがご本人には難しすぎる可能性があります。
集団塾でレベルの合わないクラスにいるのは時間とお金の無駄であるばかりか、ご本人の意欲や自尊意識の低下に繋がりますので、速やかにクラスを変えてもらうか退塾することをお勧めします。

2.宿題の量が多すぎる
 生徒さんのライフスタイルは多様です。
 1日あたりの塾や家庭教師の宿題に割ける時間はどれくらいかを聞き取り、何分でどれくらいの量ができそうか見当をつけた上で、日割りで宿題を出すのが望ましいです。
この時大事なのは、無理のない量にすること。
 この教科は1日何ページすべきかも生徒に伝えておきましょう。
 保護者様にも宿題の箇所と共にそれを伝え、協力が得られそうなら毎日声かけやチェックをお願いします(その日の分をしたかどうかのチェック。丸付けまでして頂く必要はありません)。

3.メンタル面
 勉強が心底嫌でたまらない、またはうつ状態などの理由。
 これらは一般の学習塾で対処するのはほぼ不可能です。
 無理に続けるのは状態を悪化させることにもなりかねませんので、(手前味噌ですが)こうした問題を抱えた子どもへの対応に長けた家庭教師に依頼しましょう。
 うつ状態なら治療を優先し(不眠や過眠、生活リズムの大幅な乱れ、食欲不振などが受診の目安になります)、先に精神科(心療内科)を受診した上で、ドクターの助言を基に今後の勉学をどうするかについて考えてもよいかもしれません。

学習塾・家庭教師の留意点

これは全ての学習支援に言えることと思いますが、最も大切なのは、塾や家庭教師に丸投げしないことです。

塾や家庭教師が1教科に割けるのはせいぜい週1回ですから、その本分は自宅学習の支援になります。
一人では勉強の計画が立てられない、計画どおりに進められない、わからない問題があったときにどう調べたらいいかわからない、学校の授業だけでは十分に理解できなかったなどの問題を抱えている時にプロによる学習支援は有効です。

しかしそれはあくまでも日々の学習をより円滑に進めるための支援であり、そこで授業を受けてさえいれば自然に成績が上がるものではありません。
成績向上のために最も大切なのは日々の学習です。

自宅学習をしない(できない)場合、個別指導ならそれを前提に授業を進めることもできなくはありません。
しかしその場合、習ったことを自宅学習で定着させることができないため、その反復学習を授業でせざるを得ません。そうなると必然的に授業で扱える内容は限られてきますから(大抵の場合は基礎の基礎のみになる)、効果は極めて限定的になります。

集団指導塾の留意点

学習塾には集団指導塾と個別指導塾がある。
今回は集団指導塾について書いてみたい。

集団指導塾の場合、学力ごとにクラス分けをしていても、クラス内で生徒間の学力に元から開きがあるのは避けられない。経営の関係上、あまり細分化するわけにはいかないから。

クラス内に成績上位・中位・下位の生徒がいる場合、授業のレベルは上位者に合わせられることが多い。中位の子にはフォローしつつ頑張れば授業についてこられる機会を与え、下位者は放置される。
中位に合わせると上位者は良くて現状維持しかできず、
下位に合わせると授業が簡単すぎてクラス全体のモティベーションに悪影響を及ぼす(聞かなくてもわかる授業は聞く気がしない)。
そうなると塾全体の学力レベルや進学実績に関わる。

特に進学塾の場合、塾全体の学力レベルや進学実績は今後の集客に大きな影響を及ぼす。
だから成績上位者とモティベーションのある一部の中位者を大切にし、彼らを最大限伸ばそうとする。
クラスの士気に関わらない程度にやる気のない中位者と下位者は、塾の経営を支えてくれさえすればそれでよい。

これは少人数指導を謳う学習塾でも変わらない
学力レベルに合った指導ができるのは2名まで、3名以上になると個別指導は成立困難になる。
少人数であっても一斉指導になるなら、授業についてこられない生徒をすくい上げることはまず期待できないと言ってよい。

個別指導塾や家庭教師に比べ、授業料は集団指導塾の方が安い場合が多い。
授業レベルと生徒自身の学力レベルが合っていれば集団指導塾もよいと思う。
特に周囲の影響を受けやすい子なら、クラス全体の士気が高ければ意欲的に勉強するようになることも少なくない。
しかし本人の学力レベルを見定めず、塾の進学実績だけを見て我が子も上位校に入れるかのような夢を抱きつつ入塾させるのは得策とは言えない

家庭教師にはない学習塾の強み

当事業所は家庭教師派遣業ですが、敢えて掲題のテーマで書いてみようと思います。

学習塾の強みは「場所があること」。これに尽きます。
塾によりますが、その生徒の授業時間以外でもいつ来てもよいというサービスを無償で提供している所があります。
そして講師(主に塾長)が手の空いた時に生徒の自習を時々サポートしてくれます。自習課題を持って来なかった生徒には塾が見繕って課題を出してくれます。
自学自習はできても家庭では勉強が捗らない子にはちょうど良いのではないでしょうか。

余談ですが、発達障害の子には集団指導塾は向かないと思います。
集団指導塾では様々な障害特性に応じたきめ細かな指導や配慮は困難ですし、
特に聴覚過敏を持つ子の場合、がやがやした環境は苦手です。
学校のような辛い環境がひとつ増えただけということにもなりかねませんので、塾を選ぶなら個別指導をお勧めします。